『茶経~cyakyo~』を読んでみる。そんなことが出来る時代が来ました。
本が好きな事と、読むこと。読み解くこと。
読んで自分事にしてみること。智恵にすること。
それぞれに違いはあれど。。。
翻訳をしてくれて、読み上げてくれてくれるところまでは現代の知恵の結集「AI」がやってくれる時代です。
そのAIをお供に、「茶経~cyakyo~」に、出会った事の意味を改めて知りたくなりました。
出会いは『中国江南水郷文化博物館 (China Jiangnan Watertown Culture Museum)』
中国の江蘇省蘇州市にある博物館です。
こちらの立派な建物は、2008年に撮影をしたものです。
中国江南水郷文化博物館(China Jiangnan Watertown Culture Museum)。
中国の江蘇省蘇州市にある博物館で、江南水郷の豊かな文化遺産を展示・保存するために設立されたそうです。
素晴らしい建物で、当時拝観した際には「視察団」の一員として訪れました。
博物館内の売店で『茶経~cyakyo~』として販売されていた本です。もちろんレプリカです。
今改めて「茶経」を手にとって開き、見てみると、陸羽では無い人物の名前も文面にはあるようです。
古めかしい感じ。紙に残るシミのような跡。中国古文のような雰囲気。
手にした当時は、お店のディスプレイとして購入し、「読み解く」事など考えもしませんでした。
例えば『縁~en~』という無数の出会いの中には、
星座のように、「点」と「点」が時間を超えて繋がる、そんな『縁~enishi~』も有ると思うのです。
無数に出会う「縁」には実線のように、直接的につながることもあれば、随分時間がたってから繋がるような「縁」も有ると思うのです。
例えば、星座のように・・・。
人が意味を持たせ「点」と「点」を繋げたように。
展示物に、「意味」を見いだせなければ、ただそこに飾られているだけの「モノ」「コト」。
下調べをしておけば、もう少し体験となるのだと思います。その体験を「実感」できるのもまた別のように。
出会ったときにはよく理解出来ずに過ぎていったことを、時間の経過とその人の積んできたことに重なり意味をもつのかもしれない。
何気ない「縁」を、深掘りしたくなったときに、点と点がうっすらと繋がり始めるのかもしれません。
『陸羽泉』という湧き水が湧く場。
どの国に於いても、きっと昔から「湧き水」は清らかで、大切で神聖な場所。
日本の「井戸」とは勝手が違うようですが、展示されていた写真に『陸羽泉』が有りました。
湧き水が湧き、人々が水汲みに行ってたのでしょうか。
いつの時代からかは、わかりませんが、この場に於いて茶人の祖「陸羽」と名付けられ、とても大切にされているのでしょう。
AIをお友にしながら、「茶経~cykyo~」を私なりに読み解いていければなと思っております。